最も気になるレーシックの治療費用ブログ:15/8/29
僕は老舗の料理屋の三代目として生まれた。
パパもお母さんも仕事に忙しく、
公私をきちっと分けるために、
息子はお手伝いさんに任せて一切口出ししなかった。
普段は生活も別で、
お手伝いのおばちゃんと妹と3人でごはんを食べていたから、
ごく普通の食べる事だったと思う。
だから、お母さんの手作り料理は皆無に近い。
強いてお母さんの味といえば、日曜日の「スパゲッティ」。
ケチャップで炒めて、赤いウィンナーの入ったいわゆるナポリタン。
あとは、遠足の日の「炒り卵のり巻き」。
卵に砂糖と塩を入れてサササッと炒り卵を作り、
それをご飯にスパーッとかけてのりでスススッと巻けば出来上がり。
だから、弁当を開けると炒り卵のり巻きだけ…
でも、
特別な日に作ってくれたということはよく覚えている。
忙しいお母さんにとって、それが息子への精一杯だったのだ。
よくおやつにチキンラーメンを食べた。
お湯をかけて、フタを開けたらできているので最初はびっくり!
小学生の時おいしくておいしくて、
毎日食べて肥満体気味になったこともある。
近くの駄菓子屋でも、よくお菓子を買い食いしたものだ。
夕になると、
チリンチリン…という鐘を鳴らしながら
やってくるおでんの屋台で、
妹と二人、串を買って立ち食いしたのを思い出す。
よそのお母さんたちが
鍋やボウルを抱えて買いに来ている横で
息子が買い食いしているのは、ちょっと悲しくなつかしい記憶。
だめだよっと言われても食べていたのは、
やっぱり両親の目がなかったから…
料理屋って
両親と一緒にいられないんだなぁ…と
しみじみ寂しく感じることもあった。